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野島(のしま〔海軍大臣達 『12月(1)』第8画像 (大正6年12月15日付 海軍大臣達第147号)。『世界の艦船 増刊第47集 日本海軍特務艦船史』でも読みは「のしま」である。〕)は日本海軍の給炭艦で、室戸型給炭艦の2番艦。艦名は野島崎による〔#日本海軍艦船名考p.219〕。1943年に航空機の攻撃により沈没。 == 艦歴 == 1917年(大正6年)度の臨時軍事費で建造され、1919年(大正8年)3月31日に三菱神戸造船所で竣工、佐世保鎮守府籍とする。竣工当初は運送船に類別されたが1920年(大正9年)4月1日に運送艦(給炭)となった。 1930年(昭和5年)にはボイラーが換装され 宮原缶3基を搭載、速力が14ノットに向上した。 1932年(昭和7年)の第一次上海事変に際し、12cm砲を8cm高角砲に換装して参加した。また1937年(昭和12年)からの日華事変にも参加した。 太平洋戦争では1941年(昭和16年)12月20日に南遣艦隊付属に編入され12月22日に内地を出港、カムラン湾に向かう。しかし12月27日、香港の南西沖で雷撃を受けて紅海湾に擱座、翌1942年(昭和17年)1月19日には波浪により船体が切断した。1月29日に曳航され香港に入港、同地で第2工作部により12月8日まで修理が行われた。修理完了後は内地に回航、12月15日付けで連合艦隊付属に編入された。 1943年(昭和18年)1月6日に佐世保港を出港し、19日にラバウル着、その後はコロンバンガラ島への輸送任務などに従事した。 同年2月28日に人員を搭載しラバウルを出発、八十一号作戦の1隻としてラエへの輸送任務に就いた。船団には3月1日から敵に接触され、翌2日の空襲で本艦は至近弾により戦死傷者18名を出した。3日にはクレチン岬の沖で敵機の攻撃を受けて8時00分ころに缶室、機械室に被爆し火災発生、航行不能となる。更に舵故障の駆逐艦「荒潮」が衝突、12時30分の総員退去後、午後の空襲で爆撃を受けて沈没した(ビスマルク海海戦)。駆逐艦「朝潮」が生存者の救助に当たったがその「朝潮」も当日午後の空襲により沈没した。艦長は3月7日になりようやく呂101に救助された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野島 (給炭艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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